子供が小さい頃は、親の育て方により子供の人生が決まってしまうのではないかと考えており、どう育てたらよいのかよく考えていたように思います。でも10年ほどの子育てを経て、環境の影響もさることながら本人の生まれもった資質も大きいと感じるようになりました。
特にここ数年は願いをもって育てたところで願い通りになど育たないということがよくわかりましたので、そもそもそのようなことを考えるのをやめ、今日も良い一日だった!と毎晩眠りについてくれたらそれでよし!と考えるようになりました。
ところが意外なことにこの近視眼的で刹那的な考えは、将来を見据えて子育てをしていたころよりも子供達に良い影響をもたらしたように思います。
良い一日だと子供が満足するには、私があまりあれこれ口うるさくいってはいけないわけで、私にできることはせいぜい清潔な環境とバランスのとれたご飯を用意することくらいしかありません。その結果子供達は自分でやるべきことなどを考えなければならなくなり、上の子に関しては何かを口出す必要というのはほとんどなくなりました。
下の子はまだ何をするにも親のサポートがある程度必要なので、時間の使い方や物事の優先順位のつけ方などを話して声がけはするようにしています。しかしそれもあと数年だと思います。
子供が自分の人生を主体的に考えるようになることも嬉しい誤算でしたが、それ以上にこの考え方を取り入れてよかったのは、子供だけでなく私自身も今日も良い一日だったと思えるようになったことです。「あ~今日も最高に楽しかった!」と言いながら子供達は眠りにつくことが多いのですが、それを聞くと私自身もとても満たされた気持ちになります。
もちろん子育てをしていれば怒ることもたくさんあります。そんな時は子供たちの大好物をお夕飯で出したり、綺麗な夕焼けを一緒に眺めたり、色々あったけどトータルでみたら良い一日となるよう調整することで、なんだか私の人生の幸福度も上がったような気がするのです。
もし10年前の私のようにどうやって子供を育てたら良いのか悩まれている方がいらしたらぜひ「今日も良い一日だった!今日も楽しかった!」と子供が満足して眠ることを子育ての目標にされてみることをおすすめします。将来どんな子に育つかはまだわかりませんが、親子ともに「幸せ」を感じられる子育てができることは保証します。